松平健太の微妙な判定とリオ五輪の石川佳純

 カタールオープン、松平健太戦のエッジorサイドの微妙な判定、というより誤審が話題になっています。勝負を決めた最後の1点だっただけに、これはあまりにも気の毒な、腹立たしい判定としか言いようがない。
 ただ、これで思い出したのはリオ五輪個人戦石川佳純vsキムソンイの試合です。

 あの試合、石川佳純が途中で足を痛め、メディカル・タイムアウトを求めたのに、審判に認められなかったという出来事がありました。

 この審判の判断については、どうこう言っても仕方ありませんが、あの時、海外のメディアの中に「なぜ石川のコーチは一緒に審判と話をしなかったのか。彼は英語ができなかったのだろうか。だとしたら不幸なことだ」という記事がありました。
 選手が足をさすりながら懸命にタイムアウトを求めているのに、なぜコーチは黙って見ていたのか? と、半分怒りを交えたニュアンスだったように読めました(ぼくのア・リトルな英語力なので確かではありません)。なるほど、海外からはそんなふうに見られていたのかと、新鮮に思ったものです。

 今回の松平健太の判定についても、同じことが言えるのかもしれない。
 あの判定の直後、選手自身は必死に抗議をしていました。でも、コーチはどうだったか。ITTFの映像からはコーチの挙動がわかりませんが、少なくとも強く抗議をしたようには見えない。勝負を分ける大事な大事な1点、しかもミスジャッジの可能性がある1点なのに。
 こんな場合に、コーチがどこまで出ていっていいのか、そもそもコーチの抗議が認められるのか、ぼく自身、ルールをよくわかってないのですが、それをさておくと。

 審判の判定を議論する場合、日本側のベンチの問題としてとらえる視点も持つべきではないか。コーチの語学力、もしくはその他の理由を問題にする意見もあっていいのではないか。
 リオデジャネイロで、足をさすりながらタイムアウトを求めた石川佳純の姿を思い出しながら、そんなふうに思いました。